2011.03.25 Friday
2 weeks ago
あれから2週間たった。
ずいぶん昔のことのような気もするけど、
まだまだ僕たちの暮らしはあの出来事の中にある。
出来事の終わりがいつおとずれるのか、どのような結末が待っているのか?
不安に包まれながら生きるということを経験している。
とはいえこの不安には、退屈なパニック映画を見せられているような予定調和がある。
ひとの感情をもてあそぶ、作者の意図が出来事を貧しくしている。
大いなる自然はこんな稚拙な脚本は書かないだろう。
そのことが意味するのは、今回の出来事が天災ではなく人災だということだ。
出来ることをやらないで怠けてきたぼくたちにそののつけが回ってきたのだ。
どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための ぎりぎり
の限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ
(花森安治「見よぼくら一銭五厘の旗」1970)
全文はこちら→ Click!
雑誌「暮しの手帖」を作った花森安治さんのことば。
「暮らしを大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中にしたい」と一貫して生活者の立場から発信してきた花森安治さんのことば。
40年前、僕が生まれた当時のことばだ。
僕はここからやりなおしたい。
何かを変えなければもはやつぎの40年後はないと思う。
だから花森さんのことばを、少しでも多くのかたと分かち合い、
そこから一歩を踏み出せればと思います。
読書会「花森安治のことばーポストFUKUSHIMAの時代を生きるためのレッスン」
日時 2011年3月27日 14時頃から17時頃まで
場所 千年一日珈琲焙煎所
入場無料(ただしワンドリンクオーダーお願いします。)
花森安治「見よぼくら一銭五厘の旗」は当日配布します。